皆さんは、4,000キロ以上の距離を歩き、未知の土地で夢を追い続ける勇気がありますか?
ガヌーの物語には、私たちが日常で直面する挑戦や困難を乗り越えるヒントが詰まっています。
本記事では、彼の背後にある情熱と決意、そしてどのようにして彼が世界の舞台に躍り出たのかを深堀りします。
ガヌーとは?
1986年9月5日生まれのフランシス・ガヌーさんは、カメルーン出身の格闘家です。UFCヘビー級で素晴らしい実績をあげています。
通称は「ザ・プレデター」です。UFC代表のダナ・ホワイトさんから高い評価を受けており、彼のパンチ力はファミリーカーが衝突する威力と同等の96馬力とされています。
現在ではフランスからアメリカ・ラスベガスに移住され、映画「ワイルド・スピード/ジェットブレイク」にも出演されました。また、カメルーンでの慈善活動も積極的に行っています。
ガヌーのファイトスタイル
ガヌーさんはヘビー級ファイターとして圧倒的なパワーと打撃技術を持っています。彼の左右のパンチは非常に強力で、一撃で相手を倒すことができることから「捕食者」とも称されます。実力で敵を圧倒するスタイルで、対戦相手も彼のパンチを警戒します。
ガヌーの年収
ガヌーさんはUFCのヘビー級チャンピオンとして、高額なファイトマネーを受け取っていました。公表されたデータによると、1試合あたりの収入は約1億1千万円。年間の試合数やその他の活動を合わせると、年収は日本円で2億円近くになると考えられます。
UFCにおいて、ガヌー選手は試合報酬の一部をビットコイン(BTC)という暗号資産で受け取ることを決定しています。1試合あたりの報酬が50万ドルから60万ドルであるとされ、その中の約25万ドルから30万ドルをビットコインで受け取っています。
デジタルゴールドと呼ばれる暗号資産を報酬に選択することで、将来的な値上がりと運用利率を利用するという戦略性は注目に値します。
2023年現在、プロボクサーとしてファイトしており、その報酬は数億円程度といわれています。
ガヌーの幼少期~旅立ち
1986年、カメルーン・バティエ村。ガヌーはこの年に生まれました。映像は村の日常を映し出し、幼いガヌーの日々を追います。
ガヌーの生活
ガヌーは6歳。家庭の様子が変わり始め、ある日両親が離婚を決意する。ガヌーは親戚の家々を渡り歩く日々を送り、最終的には祖母の家に落ち着く。しかし、家の中は親戚で溢れ、時には家の外で夜を過ごすことも。
ガヌーの学校生活
貧しい生活のため、ガヌーはペンやノートを持たず、授業中にノートを取ることができない。そのため、教師に叱られる日々が続く。昼休み、彼の空っぽの弁当箱を見たクラスメートが食べ物を分けようとするが、ガヌーはそれを断る。
ガヌーの児童労働
1995年、9歳のガヌーは家計を支えるため、日当2ドルで砂の採取場で働くことを決意。彼の小さな身体が重い砂を運ぶ姿が映し出される。
悪の道に誘われるガヌー
時が経ち、村のギャングたちがガヌーの体格と彼の父親の過去を知り、彼を仲間にしようと誘う。しかし、警察沙汰の父親を思い出し、ガヌーはその誘いを断る。
ガヌーと格闘技の出会い
2008年、22歳になったガヌーは家族の反対を押し切り、ボクシングのトレーニングを始める。しかし、1年後、病気のためにトレーニングを中断する。
ガヌーの村での仕事
村でのガヌーの役割が変わり始める。争い事の仲裁や、未払いの賃金の交渉、さらには強盗からの奪還活動を行うガヌー。彼は村の顔役として尊敬されるようになる。しかし、彼自身はカメルーンでの成功に限界を感じ、新たな挑戦を求めてフランスのパリへの旅を決意する。
ガヌーの旅立ち~格闘家への道
思い立ったが吉日、ガヌーはカメルーンでの人生に限界が見えたようです。そして、歩き始めます。本当に歩いてフランスを目指します。
出発の日
ガヌーは家族に告げずにカメルーンを出発します。彼の目的はフランスのパリ、しかし直接向かうことはできませんでした。アルジェリアで闇市場を利用し、偽造パスポートを手に入れ、マリ人として身を隠します。この時期、ガヌーは私服の警察を見分ける技術を習得します。
アフリカを徒歩で北上
2012年5月、ガヌーはアフリカ大陸を北上し(徒歩)、ナイジェリア、ニジェールを経てアルジェリアに入ります。サハラ砂漠の過酷な環境で、彼は生死の境をさまよいます。安全でない井戸の水を飲みながら、生き延びるための必死で歩きます。
サハラ砂漠を3週間かけて越え、ガヌーはモロッコに到着します。しかし、モロッコとスペインの間のジブラルタル海峡の越境はさらなる挑戦となりました。
ジブラルタル海峡の壁
2012年6月〜2013年3月、ガヌーはジブラルタル海峡を越えようと6回もの挑戦をしますが、毎回拘束されるなどの困難に直面します。モロッコの森での過酷な生活の中、彼は諦めずに越境のチャンスを窺います。
2013年3月中旬、7回目の挑戦を前に、ガヌーはインターネットカフェで海峡の情報を調査。そして、計画を実行に移す日を決めます。8人の仲間と共に、ゴムボートで海峡を越えることを試みます。
2013年3月末、スペインに上陸したガヌーは、移住者収容センターに収容されます。2か月間の収容生活を経て、ガヌーは難民として認定されます。
フランス到着
2013年6月9日、約14か月の旅を経て、ガヌーはフランスの首都、パリに到着します。しかし、パリでの生活もまた新たな挑戦が待っていました。
ホームレスとしての日々の中、彼はボクシングに情熱を注ぎますが、総合格闘技を始めることを勧められるものの、彼の夢はボクシングでの成功でした。
ガヌーの格闘家キャリア
ボクシングへの成功を夢見つつ、その才能はUFCで花開きました。詳しく見ていきましょう。
2015年
29歳でUFCと契約を結びます。12月19日、UFC on FOX 17にてルイス・エンリケと初対戦し、左アッパーで2RKO勝ちを収めます。
2016年
4月10日、カーティス・ブレイズとの対戦で2R終了時にTKO勝ちを果たします。12月9日、アンソニー・ハミルトン相手に1R一本勝ち、パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞します。
2017年
1月28日、アンドレイ・アルロフスキーとの対戦で1RTKO勝ちを達成。12月2日、アリスター・オーフレイムに1R失神KOで勝利し、王座挑戦権を獲得します。
2018年
1月20日、スティーペ・ミオシッチとのタイトルマッチで判定負け。7月7日のデリック・ルイス戦では判定負けを喫しますが、11月25日、カーティス・ブレイズとの再戦でTKO勝ちを収めます。
2019年
2月17日、ケイン・ヴェラスケスと対戦し、26秒でのKO勝ちを記録。6月29日、ジュニオール・ドス・サントス戦でも1RTKO勝ちを収め、パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞します。
2020年
5月9日、ジャルジーニョ・ホーゼンストライクとの対戦で20秒でKO勝ちを達成し、2試合連続のパフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞します。
2021年
3月27日、スティーペ・ミオシッチとのリベンジマッチで2RKO勝ちを収め、UFC世界ヘビー級王座を獲得します。
2022年
1月22日、シリル・ガーヌとの王座統一戦で判定勝ちを果たします。しかし、12月中旬にUFCとの契約が満了し、翌年1月にリリースされます。
2023年
5月にPFLと契約を結びます。10月28日には、プロボクシングデビュー戦をサウジアラビアで行い、タイソン・フューリーと対戦し判定負けを喫します。
ガヌーが成功した理由
ガヌーの成功理由の主なものには「先見性」があります。
カメルーンからの旅立ち
ガヌーはカメルーンの小さな村で育ちましたが、彼の夢と野心を追求するためにヨーロッパへの道を選びました。この大胆な決断が彼の格闘技キャリアの土台を築くきっかけとなりました。
身体能力の高さを活かしたUFC参加
ガヌーは自身の身体能力を活かしてUFCに参加し、短期間でヘビー級のトップ選手として名を馳せました。彼の打撃能力は特に注目され、その実力は彼が保持するハードパンチの世界記録にも表れています。
更なる報酬を求めてのプロボクシングへの移行
UFCでの成功を基盤に、ガヌーはさらに高い報酬を求めてプロボクシングの世界へと足を踏み入れました。この選択は、彼の先見性とビジネスセンスを示すものとして注目されています。
BTC報酬の受取
ガヌーは試合報酬の一部をビットコイン(BTC)で受け取る選択をしました。これはデジタル通貨の将来的な価値増加を見越した賢明な決断といえるでしょう。暗号資産の普及が進む中、ガヌーのこのような選択は他の選手たちにも影響を与える可能性があります。UFCが暗号資産取引所Crypto.Comとのスポンサー契約を結んでいたことも、この決定を後押ししています。
まとめ
本記事を通じて、ガヌーの壮絶な人生とその背景にある強靭な精神を解説しました。4,000キロ以上の道のりを歩き、キャリアを変え、世界の頂点を目指す彼の姿は、私たちに夢を追い続ける重要性を教えてくれます。
本情報が皆様の日常や挑戦の中での一助となれば幸いです。最後まで読んでいただき、心から感謝申し上げます。
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